久住有生(左官)の生い立ちは?優柔不断であれ!後継者も気になる!

久住有生(左官)の生い立ちは?優柔不断であれ!後継者も気になる!

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私の夫も建築大工をしており

こだわりの強い人のことを

職人気質!と昔から聞いていましたが・・・

今回紹介する方こそ

この言葉がピッタリ当てはまると感じました

プロフェッショナル仕事の流儀にて取り上げられた

左官職人の久住有生さんです!

そこで、久住有生(左官)の生い立ちは?作品が凄い!後継者も気になる!




久住有生(左官)の生い立ちは?

先ずは、久住有生(左官)の生い立ちは?について紹介します

1972年、兵庫県淡路島生まれ 左官の三代目

2018年7月9日現在 46歳

祖父の代より左官業を営む家庭で育つ

父親は国内でも有名な左官職人の久住章さん

『巨人の星』の星一徹のようにスパルタで

弟と2人して、怖さゆえに言うことを聞いて育つ

祖父の代から続く左官屋ゆえに

3歳で初めて鏝(こて)を握る

毎日畳一枚分ぐらいの壁に土を塗りつけては剥がすことの繰り返しで

鏝を持ち壁塗りをみっちり仕込まれる

練習が上手にできないと、食事は後回しに

小さい時から父親が買ってくるお土産は

鏝(こて)という左官の道具で

小学生の夏休みは、弟と一日中

砂利をふるったり、押し入れの壁塗りをさせられている

夏休みで本当は学校の宿題をしなければならない時にも

広告の裏に竜の絵を百枚書いて来いとか

千羽鶴を作れとか

要するに手先が器用になるような訓練なら何でもやらされる

おかげで手先だけは器用に

中学生になると父親からは

「お前、学校へ行かなくてもいいから左官をしろ」と言わる

そんな生活から絶対左官職人にはならない!と

幼心に強く決心しており、

高校生になると、甘いものが大好きなことから

ケーキやでバイトをしてパティシエを目指し

オーナーに認められるほどに

父親に打ち明けると、否定も反対もされず

「世界を観てこい!」と二十万円渡され海外へ送り出される

高校3年生の夏に父親の勧めでスペインへ渡欧

一ヵ月半ほど一人でうろうろし

アントニ・ガウディの建築物

サグラダファミリアやドイツのケルンの大聖堂など

を目の当たりにし

存在感に圧倒され強く心打たれる

金銭面も大変で、野宿したり、パリの日本庭園でバイトしながら過ごす

帰国後、父親からも

「ケーキは食べたらなくなるけど

左官の仕事は死んでも残る」との言葉に左官職人となることを決意

左官になると決めたからには

父にだけは負けたくないと思う

修行して30歳までにはなんとか日本一

世界一の職人になりたいと決意

それから、左官技術を学ぶべく

18歳からさまざまな親方の許で本格的な修行を開始

左官以外のことは何も考えず、名人になるためにひたすら訓練に打ち込む

20歳では京都御所関連の仕事にも声を掛けられ

年配の職人さんに劣らない仕事をする

22歳に阪神淡路大震災に遭う

地元の困りはてた島民の依頼に

通常の日当の1/3の金額で

昼夜を問わず働くが貧乏暮らしに

しかし、傷ついた故郷で新たな発見をする

この経験こそが、現在の久住有生さんの原点になっている

朽ちた壁を塗りながら、古壁の頑丈さに気がつくことで

今では使い物にならないといわれる土の見直しの機会に

常識が一変し、試行錯誤のスタート

1995年、23歳の時に独立し「久住有生左官」を設立

工房には、実験室さながらの試し塗りようの壁が・・・

1現場において最低でも50回は

材質の配合や鏝の種類を変えるなど試行錯誤を繰り返す

これまで使われなかった土を使うなどのチャレンジも

このようにして生み出される壁が久住のスタイルである

重要文化財などの歴史的価値の高い建築物の

修復ができる左官職人として、国内だけにとどまらず

海外からのオファーも多く、経験を積んできた

伝統建築物の修復・復元作業だけではなく

商業施設や教育関連施設

個人邸の内装や外装を手がけることも多い

現場では企画段階から参加することが多く

デザイン提案なども積極的に行っており

伝統的な左官技術とオリジナティ溢れるアイデアが

国内外での大きな評価につながっている

また、どの現場でもその土地の暮らしや自然を意識しながら

土や材料を選び、ときには地元の暮らしの調査をしてから工事に入るなど

それぞれの風土も大切にしている

左官業界は、壁紙の普及により

全盛期の半分70万人と減少傾向にあり

通常の仕事の他にも、日本の左官技術を広く伝えるべく

ワークショップや講演会を積極的に国内外で開催する

休みの日は帰郷しサーフィンを興じている

波の動きや変化する瞬時が芸術であるように

800種類以上の鏝を巧みに使い分ける

左官の壁も波と同じだと語る

久住有生オフィシャルサイト

http://www.kusuminaoki.com/

「楽しいから」この仕事を選んだ

世界を舞台に活躍するスーパー左官職人




優柔不断であれ!

次に、優柔不断であれ!について紹介します

「優柔不断であれ!」あまり聞こえの良い言葉ではないが・・

久住さんは、=最後の最後まであきらめない心のこととつぶやく

伝統的な仕事をしたおかげで現在の僕の価値観があると語る

美しいと思えるものは

古いものから来たものや

自然から学んだものが多い

建築家やお客さんと出会って

いろいろな人と出会う度に

どんどん自分の考え方やもの作りに対する思いが

変わってきて現在に至る

約16年前の27歳の時の新しい仕事が

当時堺のお花の家元の毎年桜の華展を

その年はお寺で「月と桜」という華展をやりたいと

直径2メートルの土の花器を作ることに

ここから新しいオブジェのような表現のきっかけになる

店舗や公共施設でいろいろな表現の幅ができ

神話に基づいた作品は

鏝を使わず手で作り指の跡を残したり

土を団子にして壁に張り付けて削った土の屏風にしたり・・・

土の生に魅力を感じ作るもののほとんどは

自然界から影響を受けたもので

綺麗だなと思ったものを自分なりに考えて作るのが好き

材料は山へ土を取りに行ったり

自然のものを集めたりしている

2009年に新潟の美術館で開かれた

「水と土の芸術祭」に出品したオブジェ「土の一瞬」は

竹を編んで土を塗っている

8年前、東京に移るきっかけになった作品は

大事にしたいという想いや

感動を子どもたちに知ってほしくて

東京都の公立小学校に土壁

(高さ15メートルの土の大きな壁)を

それもざらざらした荒々しい土壁を作ることに

設計事務所も強く後押ししてくれ

とても柔らかい素材で

軽く手でひっかいただけで傷が入るものなのですが

それが傷一つなく、今も維持されている

日本人はものを大切にするし

ものや人に対して思いやりもあるのに

直しやすいもの壊れにくいものがどんどん好まれるようになって

作っても壊してまた新しく建てればよいと言われる

美意識や考え方がどんどんそうなって行くことを恐れている

それを少しずつ変えて行けたらという第一作目で

都内の保育園には古墳のような山を・・・

絶対ケガをしないような環境に

そこに一つだけケガをするようなものを作らせてもらう

静岡県の富士山が見えるホテルでは

地層をイメージして、意匠としてあくまでも作為的に作ったものなど

作品が認められ、取り上げられるようになり

左官業界では、一時期に比べると「やりたいな」と思う人が増えてきた

僕らの時はちょうどバブルがはじける前で

職人になりたいという人がとても少なくて

僕たちの父親世代から急激に減っていった

今、腕の良い職人は左官業界だとほとんど65歳以上で

僕らの世代も少ない

でも最近、テレビなどの媒体で職人さんが取り上げられる機会が増えてきて

「職人さんっていいな」と言う人が増えてきた

僕も今まで何人か弟子を育てて職人にしてきましたが

昔は家が左官屋だから左官職人になるという子が多かったのに対して

今は全く関係なく、大学の建築学科を出て左官屋をしたいとか

美術大学を出てなりたいとか

いろいろな人が左官をやりたいといってやっています

このように少し増えて来てはいますが

やはり全体で減っていることは確かなので

これから10年したらどうなるかを考えると

職人の取り合いになるのではないかと思います

365日ずっと壁のことを考えていて

子どもの時からいれるとキャリアは40年になり

誰よりも知っているわけです

父親が新しいことをどんどん開拓して行く人だったことから

それを見ていて、父親みたいになりたいと

憧れて尊敬するところから始まり

僕はラッキーだったのですが

ラッキーだったで終わったら次にそういう人が現れるどうかわかりませんね

日本で何でもできると思っていたのですが

日本は時間が短すぎるという制約があります

たとえば、僕らが半年かけて作りたいものを

都心だと一週間で作ってくれと言われるので

そこで同じようなものは何をどうやっても作れなかったりします

また日本の気候の条件は世界でも群を抜いて大変で

四季はありますし、地震、台風もあるので

法律基準もかなり高い

それを考えると

ただ純粋の土の塊で家を作りたいなと思っても不可能

また土はバクテリアとかいろいろあるので

輸出入ができない

全く制約なしで、その土地にしかない土で

その土地の光とか空気とかに合うようなものを

作りたいと日々思っている

日本もそうですが、制約だけ考えると海外に目が移ります

最近やりたいことを考えて海外でもやっていて

来年、再来年と海外で物件をやろうかなと思っています

別に裕福ではなかったのですが

父親が変わり者でお茶室で暮らしていました

借家なのですが、門を通って路地を通ってお茶室に帰るわけです

ですから父親に敷居はどうとか

柱はどうとかいつも言われましたし

壁など傷つけたら勿論家に入れてもらえない

障子の閉め方なども事細かに躾けられて

そのおかげで仕事を始めてからも他人がした仕事を

傷つけたことは絶対にありません

今、このことを僕のところに弟子入りする職人たちにも

まず教えています

入り口のドアの開け閉め、歩き方、ものを傷つけないこと

僕らも気を付けますが、傷をつけるのはお子さんが一番多いので

もしお子さんがおられたら良いものを大事に使うことを

教えていただければものは長持ちします

作るときが一番楽しいです

ものを作っているときにいつも何を考えているんですかと

よく言われますが、何も考えてないんです

子どもの時の粘土細工と同じで

いまだに変わらずやっていて、その時が一番幸せです

子どもの時から父親や母親に褒められたことはなくて

叱られてばかりですが、それだけは喜んでくれたり褒めてくれるので

やっててよかったなと思うのは作っているときです

デザインして出来上がって、というよりは

作業をしている時が一番楽しいです

本当は日本でもう一歩先に行きたいです

今、ようやく公共の施設を作れるようになり

たとえば土壁はぼろぼろするのではないかと言われながらも

銀座に土壁を作ったりしました

いろいろなところに柔らかいものを持って行くことが

日本でようやく叶い始めたところです

40歳までにやりたかったことなので

ひとつクリアできてよかったなと思います

次は海外に行くというのもありますが

壊れてもいいものをもう少し日本で作りたいと思います

ものはどんどん風化もするのですが

「出来た時が最高」という考えがいまだに根強くあります

古いものを見るとみな「いいな」と言いますが

新しく建てられたものが古くなるとダメと言われます

単純に一つ一つの組み合わせで物質に囲まれたところにいると

想像力も生まれにくいだろうと僕は思います

壊れ易いもの、古いものがもう少し当たり前になってきたら

人への思いやり、優しさも少し変わってくるのかなと思います

土というのはその場にあるべきだし

普遍的で僕にとっては綺麗なもの、愛しいものです

あれこれ集めたいというよりは、そこにある土が好きです

「100年後にも、感動してもらえる仕事がしたい」

という思いやスタイルで今後も活躍し

後に続く職人さんを引き付けリードしていかれることでしょう

後継者も気になる!

最後に後継者も気になる!について調べてみました

結婚や子供についての家族にかんする情報は見つかりませんでしたが

今後情報がわかり次第追記したいと思います