﨑津集落(天草)と世界遺産について!駐車場やアクセス方法は?ガイダンスセンターもチェック!

﨑津集落(天草)と世界遺産について!駐車場やアクセス方法は?ガイダンスセンターもチェック!

シェアする

先般、2018年6月30日に中東バーレーンで開催された

国連教育科学文化機関(ユネスコ)第42回世界遺産委員会

江戸時代以降のキリスト教禁制と独自信仰の歴史を伝える

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」長崎・熊本を

世界文化遺産に登録すると決定したました

2015年に一度日本政府が推薦したが登録に至らず

内容を修正し再挑戦したことで、やっと実を結ぶ

準備の段階からすると2007年なので約11年も費やしており

地元では、喜びもひとしおのことでしょう

国内の世界遺産は22件目で

13年の「富士山」山梨・静岡以降、6年連続での登録となる

内訳は文化遺産18件、自然遺産4件

県関係では15年の万田坑(荒尾市)や三角西港(宇城市)を含む

「明治日本の産業革命遺産」に続いて2件目

県内の地名を冠した世界遺産としては初である

潜伏キリシタン関連遺産は

信徒が暮らした「天草の崎津集落」天草市や

現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂

長崎市など、12資産で構成

幕府による信徒弾圧と潜伏

仏教徒を装うなど独自の信仰形態を生み出した歴史を物語り

世界遺産委の審査では委員国から

「ユニークで傑出した歴史を語る価値のある遺産だ」との支持も得ていた

今回は、天草地方の世界遺産をターゲットに

﨑津集落(天草)と世界遺産について!

駐車場やアクセス方法は?ガイダンスセンターもチェック!しちゃいました




﨑津集落(天草)と世界遺産について!

先ずは、﨑津集落(天草)と世界遺産について!調査しましたよ

崎津の潜伏キリシタンは

天草下島南部は室町時代より豪族の天草氏が領有し

1566年に領主の天草久種が南蛮貿易目的で

宣教師のルイス・デ・アルメイダに布教を許し

自身も洗礼を受けジョアンを名乗った

1569年(永禄12年)には教会堂も建てられ

以来天草全体に多くのキリスト教徒が暮らしていた

﨑津は一般的ルートではないが

遣唐使船が寄港するなど古くからの良港で

ルイス・フロイスの『日本史』には

「Saxinoccu(サキノツ)」の記述があり

西洋にも知られていたほど有名であった

この時代にヨーロッパから天草に伝わった日本初の物は

イチジク、クレソン、ジャガイモだそうで

日本初のイチジクの木はポルトガルから運ばれ

1591年に天草の地に植えられたそう

島原・天草の乱の際、島原に近かった

上天草のキリシタンは一揆に加わり命を落としている

一方、下天草地方のキリシタンは

情報が少なかったことも幸いして、一揆に加わらず

難を逃れ、当時船でしか行くことができなかった

﨑津集落など限られた集落に潜伏することになった

現在は国道389号バイパスが通るが

当時は海路のみだったため潜伏が可能となった

天草島原の乱で全滅したと思われていたキリシタンが

160年余りを経て多数発見された

かくれキリシタンの里・崎津集落の約70%が

キリシタンだった<崎津集落>は

禁教期にも信仰が密かに続いた小さな漁村です

潜伏キリシタンは仏教徒を装い

﨑津諏訪神社へお参りするなどして

信仰を守り続け

島原・天草の乱後

宗門改めや寺請制度が始まり

番所が置かれ宗教統制が厳しくなった

キリシタンは信仰を守るために表面上は神仏を敬い

仏教徒を演じて潜伏していった

取り調べの段階で転宗を説得し

キリスト像を捨てたり

踏絵または改宗を誓う文書の提出などが行われ

﨑津の潜伏キリシタンは踏み絵を拒絶せず嫌疑を払拭し

実際には足の裏に紙を貼り直接聖像に触れないよう配慮したり

踏んだ足を洗いその水を飲むこと

で罪の許しを乞うゆるしの秘跡にしたという伝承もある

取り調べの中でも「自分たちは神社や寺に参拝した時に

「あんめんりうす(アーメンデウス)と唱えていた」と話したそう

最終的には「先祖伝来の風習を

盲目的に受け継いでいた」だけの心得違いとして

だれ一人処罰されなかったという

この異仏取調べの舞台となったのが崎津諏訪神社です

また、メダイやロザリオのほかにアワビやタイラギ貝など

海に関するものを聖遺物として信仰したことが

展示品からもわかる

屋根裏のような隠れ部屋に隠し階段をつくり

キリスト教の祈りを唱え厳しい弾圧に耐えながら

密かに信仰を守り続けたキリシタン

250年間、親から子、そして孫、ひ孫…脈々と‥

強い宗教心に驚かされる

﨑津教会は

1569年ルイス・デ・アルメイダ神父によって

キリスト教の布教が行われたこの地で

1638年の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも

250年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきた

弾圧を経て1883年(明治16)に最初の教会が建つが

現在の教会はハルブ神父により昭和9年に

かつて踏み絵が行われた庄屋宅(吉田家)跡に

教会建築の名人・鉄川与助(長崎出身)によって設計・施工した

“海の天主堂”とも呼ばれる﨑津教会が1934年(昭和9年)に建立

﨑津諏訪神社から見下ろす集落の中心地に位置し

チャペルの鐘展望公園から眺めると

背景に広がる河浦湾に浮かぶように見えることから

海の天主堂とも言われている

現在の祭壇部分が弾圧の象徴として

「絵踏み」が行われた場所に設置されたのが由来で

ゴシック様式の三廊式平屋の

リブ・ヴォールト天井構造に切妻屋根瓦葺きで

正面の尖塔・拝廊と手前二間は鉄筋コンクリート製だが

予算の都合で祭壇を含めた奥三間は木造建築に

コンクリート部分の外壁は大正末期~昭和初期に

流行したざらつき感のあるドイツ壁(モルタル掃き付け仕上げ)風

に仕立て室内の壁は漆喰塗りで白く明るく

教会としては珍しい畳敷きで

和洋折衷スタイルになっている

崎津教会界隈は当時と変わらない道筋が残っており

説明を聞きながらゆっくり歩ける

1651年に建立された﨑津諏訪神社へ詣でる際には

「あんめんりうす(アーメン デウス)」と唱えていたという伝承もある

明治に入り1873年に禁教令が解かれると

カトリックへの復帰が始まり

﨑津では1876年に多くが改宗し

1880年に﨑津諏訪神社の隣に小さな小屋のような教会が建てられた

明治中期には﨑津600戸のうち550戸が改宗

現在も300世帯以上の信徒が暮らしている

「よらんかな」は

明治時代、崎津に4軒あった漁師網元宅が

唯一現存し今は休憩所になっている

家の狭い崎津は「カケ」と呼ばれる

庭が海上に張り出して造られ

漁師の魚干しなどの作業場や

係船などに利用されている

材質は丈夫な竹やシュロを使っています

家屋の大半は10坪前後しかなく

集落の景観を特徴づけるのは

狭い土地で暮らす知恵から生み出された

海に突き出た平均幅5m四方の「カケ」

というテラス状の木組足場と

密集した家屋の間をすり抜ける

幅1m弱の「トウヤ(トーヤ)」(元来は「背戸屋」)という

細い小路でトウヤを抜けると海やカケに出る

現在カケは19基

トウヤは約40本

どちらも現役で使われており

活きた民俗文化財であり稼働遺産である

﨑津では現在でも正月以外にも注連縄を掛けている家があり

これは潜伏キリシタンがキリシタンでないことを表した

偽装で禁教時代の名残である

ハルブ神父の碑もあり

1927年(昭和2年)に赴任してきた

フランス生まれの人(1864~1943)

70歳のときに崎津教会を建て

80年の生涯を日本で終えられた

﨑津教会と﨑津諏訪神社を結ぶ道(カミの道)は

教会の聖体行列と神社の御神幸祭の空間(文化的空間)として共有し

シンクレティズム・インカルチュレーション・

アカルチュレーションの場として注目される

崎津諏訪神社は

幕末も近い1805年

天草で大量の隠れキリシタンが 発覚し

<天草崩れ>と呼ばれる事件が起きる

なんと4つの村で5200人もの信者がいたことが判明し

集落の約70%がキリシタンと知られた

駐車場やアクセス方法は?

次に、駐車場やアクセス方法は?について紹介します

住所    熊本県天草市 河浦町崎津539

利用料金   無料(環境整備のための賽銭箱あり)

駐車場    近隣駐車場中町5台、下町3台、下町南9台

大型バスは対岸の市役所富津出張所を利用して徒歩20分

トイレあり

アクセス情報 河浦町崎津サンセットラインから海辺へ2分

チャペルの鐘展望公園からの眺望がおすすめ

JR「熊本駅」から「本渡行」のバス約2時間30分

「本渡バスセンター」~「一町田中央」乗換~「教会入口」下車

掲載情報は2016年8月10日のもの

お問い合わせ 天草宝島観光協会 0969-22-2243

教会堂見学は事前連絡を

https://kyoukaigun.jp/reserve/agreement.php?cid=18

ぐるっと周遊バスでの観光も可

申し込みは2日前までにネット予約

「天草の世界文化遺産候補とキリシタン物語コース」

キリシタン文化の象徴である大江・﨑津教会と

キリシタンの歴史を今に伝える2つの資料館と

天草コレジヨ館は

1591年にキリシタン大名の命により

4人の天正少年遣欧使節団が

南蛮船に乗りヨーロッパに渡った

持ち帰った金属印刷機(グーテンベルク印刷機)によって

日本初の印刷活字による印刷が行われることに

西洋文化が花開き、キリスト教が広まるのに貢献を果たしたものだ

<天草本>と呼ばれた印刷物の中には

「平家物語」「伊曽保(いそっぷ)物語」布教用「聖書」などがある

河浦エリアは

宣教師を養成する大神学校(コレジヨ)が

1591年から1597年までの6年間開校されていた

天草市河浦町白木河内175-13

一人:200円です

﨑津集落を訪ね

天草ロザリオ館は

隠れキリシタンの暮らしや信仰や文化を伝える

遺品・資料を展示しています

再現した隠れ部屋や経消しの壺は印象的

また、3面マルチスクリーンでは

町の風土を紹介し、祈りの声(オラショ)とともに

当時の強い信仰心を感じとることができる

天草ロザリオ館は大江天主堂に登る入口にある

天草市天草町大江1749  料金:300円

大江天主堂は

明治6年にキリスト教が解禁となり

古く長い信仰のある大江では

この時いち早く教会が建てられ

神父がやってきました

それが大江天主堂です

そして多くの信徒が集まってきました

現在の建物は昭和8年

フランス人宣教師ガルニエ神父が

地元住民と協力して建てた白亜の教会です

ロマネスク建築で半円形の広く高い天井の聖堂で

アーチの玄関が美しく厳粛な気持ちになる

のどかな丘の上に建つ教会の敷地内には

階段を降り

キリスト教の聖地フランスのルルドの聖母像と

ルルドの泉を模した洞窟が再現されています

南国らしくブーゲンビレアが咲く

ガニエル神父の銅像もあり

所要時間は約5時間で、一人:1,000円です

地元の70代の女性ガイドさんが同乗し詳しい説明がなされる

車中も始終和やかなムードが漂い楽しめるようです

大江天主堂を後に、周遊バスは下田温泉に向け走る

車中右手に、天草西海岸の景勝地の「妙見浦」が見え

亀岩が現れるそこから10分で下田温泉に到着

マナーを守って歴史ある遺産に

触れてみてはいかがでしょう




ガイダンスセンターもチェック!

最後に、ガイダンスセンターもチェック!しました

名前 﨑津教会さきつきょうかい

連絡先 Tel: 0969-78-6000(﨑津集落ガイダンスセンター)

所在地 【天草市河浦エリア】

天草市河浦町﨑津539

営業時間 ・開館時間 9:00~17:00

※葬儀結婚式等教会行事が行われる時は、入館をお控えください。

※教会の事情により、臨時に休館する場合があります。

料金 無料

アクセス ・熊本市から車で(国道266号経由)2時間40分

・九州自動車道松橋ICから車で2時間10分

・天草空港から車で45分

・「教会入口」バス停から徒歩1分

﨑津集落には「お寺のマリア像」など在来の宗教

とキリスト教の共存の姿を垣間見るという

奈良時代からの神仏習合にどこか似ている

波静かな羊角湾のほとりが

隠れキリシタンの里の風景で崎津を中心に栄えた

潜伏キリシタンの象徴ともいえるこの教会は

「海の天主堂」と称され

海からしか拝観することのできない

「海上のマリア像」のほか

潜伏キリシタンとの共存文化を示す「崎津諏訪神社」

これら崎津の文化や歴史を発信する

「崎津集落ガイダンスセンター」などがある

文化財保護法に基づき

「天草市﨑津・今富の文化的景観」の名称で

重要文化的景観として

この静かな漁村の風景に溶け込むように佇む崎津天主堂が見える

「国の重要文化的景観」

「日本の渚百選」

「日本のかおり風景100選」などにも選ばれている

郷土のおやつとして杉ようかんも紹介

杉ようかんは米粉に餡を巻いた崎津の伝統おやつで100円です

普通の羊羹とは違いあっさりして美味しいとのことですよ

来年の世界遺産委では

国内最大の前方後円墳・大山古墳(仁徳天皇陵古墳、堺市)を含む

「百舌鳥・古市古墳群」大阪の登録の可否が審査される予定で

今年6月に推薦をいったん取り下げた自然遺産候補の

「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」鹿児島・沖縄について

環境省は早ければ20年夏の登録を目指す方針だという

私の故郷熊本でも阿蘇の風景を自然遺産に!という活動も

立ち上がっており葉鞘亭さんのデザインがビールに利用されたりしている

近年は、ますます世界各国からの旅行者が増えていくなか

移住者も増してゆくのだろう

この長い時間軸を経ての遺産をほこらしくアピールしていきたい