渡貫淳子(南極地域観測隊調理人)のプロフィールは?家族や南極生活も気になる!

ひと

この度、世界一受けたい授業に参加された

南極ママさん料理人の渡貫淳子さんについて

渡貫淳子(南極地域観測隊調理人)のプロフィールは?

家族や南極生活も気になる!を調査しちゃいました




 

渡貫淳子(南極地域観測隊調理人)のプロフィールは?

 

先ずは渡貫淳子(南極地域観測隊調理人)のプロフィールは?

について調査し

南極地域観測隊の料理隊員になった

きっかけも調べましたよ

渡貫 淳子(わたぬきじゅんこ)さんは

青森県出身

1975年生まれの44歳

2015年10月インタビュー

インタビュアー:福西 浩より

実の母親が料理が得意ではなく

中学校時代より調理経験を重ね

高校の弁当は自分で作っていたようです

学生時代はスポーツの経験もあり

大学進学の話もあったが・・・

将来的に「何で食べていくか」を考え

料理人という職業を選択し決心

学校帰りに立ち寄る本屋さんに

辻静雄先生の本が並べてあり

辻調理師専門学校のことを知る

当時、“料理天国”というテレビ番組も人気で

辻静雄先生の本はフランス料理だったが

食べたこともないし“美味しさ”の基準もわからない

それで和食の道に

1年制の学校エコール 辻 東京日本料理マスターカレッジへ

昼は学校で学び

夜はお店のアルバイトで経験を積む

和食とは言っても

家庭料理のそれとはまるで違い

よく怒られました、厳しかったです

自分の味覚とプロの味覚

その差を理解し近づけていくのが私なりのテーマだった

1993年に卒業と同時に同校の就職する

授業の準備や100名ほどいる職員の

ための賄いを作る仕事などをした

卒業後のキャリアを料理店ではなく

辻調のスタッフとして働くことに求めることに

お店に就職すれば、キャリアの幅が限定されるような気がして

辻調に残れば名だたる料理人や外部からの講師など

いろんな先生方の知見を吸収することができると

これほど魅力的な職場は他になかったという

調理師学校で一緒に働いていた主人と結婚

夫の20年勤務を機に独立し

「食彩わたぬき」を開業し一緒に働く

普通のお店とは違い

何時に開いて何時に閉まる

ランチタイムがあって

ディナータイムがあるというお店ではなく

「教える」ということが得意分野なので

農水省の日本の食材を海外に売り込むイベントで

海外に行って料理を作ったりとか

映画の中の食事を作ったりとか

そういう対外的な仕事をやりながら

お店をやっているという感じ

子供がいたのでサポート役で

海外は主に夫が、自身は店をしていた

料理教室とお店が実は2つあり

一つは頼まれてやっている店で表に出していない

それに外部からの受注で

外に出張でいくという仕事

そういう仕事で「食彩わたぬき」が成り立っている

調理師学校時代に賄いで作って

一番皆さんに喜んでもらえた鯖の味噌煮は得意だそう

南極地域観測隊の料理隊員になるきっかけは

もともとは朝日新聞の記事で

第45次隊の中山由美さんを知ったのが最初のきっかけで

ある銀行さんの研修所の食事を作るという仕事の経験が

今回の南極で365日3食を作り続ける

という環境の自信になったという

その時は一般公募もなく

すでに子供もおり夢というよりはあこがれだったが

2009年になって映画の「南極料理人」を観て

そこから南極についてもう一回勉強

その時に一般公募になっていることを知り動き出す

実際2009年から活動する

それから約6年の歳月をかけて

渡貫さんは南極で調理隊員となるための環境を整える

まだ、行けるとも決まっていないのに

家族に説明し、書類を整え

1年間のメニュースケジュールを想定して

必要な食材などを書きとめ、何度も練り直していく

南極での賄いについての情報は何もないので

であれば経験者に話を聞くしかないと

SNSで呼びかけ、越冬隊に関する集いにも参加して

体験談を聞き、調理師として参加された方のお店に

押しかけてお手伝いをさせていただき

自分のキャリアがどうすれば

南極で活かせるかを考え続ける

「子供が高校生になるまでは応募はしない」と家族に伝えて

高校生になるタイミングで第55次隊から応募することに

何回も応募しているうちに家族の理解もできた

実際、お店も私が抜けることに

よって回らなくなる可能性あり

5年かかけて自身が抜けてもお店が回るように

お店の規模を変えて、スタッフも増やした

55次隊では書類選考落ち

56次隊に向け、アピールしたいポイントを

いかに簡潔に伝えるかを考えて

履歴書の書き方を工夫する

56次隊では面接落ち

面接官の質問の中に一つだけ答えに躊躇した質問があった

記憶は定かではないが

越冬が成功するように隊全員で力を合わせてということを言うと

面接官の方が

「皆さんがそういう想いでいると思いますか」との質問!

その時即答できず、正直何と答えたかも半分覚えておらず

隊員として何が求められているか、答えを一生懸命探した

それを踏まえて57次隊の面接に臨みました

何名応募されるかとか

倍率についてはわからず

実際、性別的にも不利だと隊員経験者からよく言われていましたので

ただ帰りに極地研究所の南極・北極科学館の前庭にある

カラフト太のタロとジロのブロンズ像を見てここで働きたいと思ったそう

高校3年生の息子さんの理解がいちばんのようで

「面接では大きな声ではきはきと」

「面接官の目を見て話すように」

アドバイスをするくらい協力的だったとか

身支度の際には、普段身に着けている

腕時計をプレゼントしたそう

出発の日が平日だったが、

「学校だから見送りにいけないぞ」と

ハグしてくれたとのエピソードも

面接の当日の夜、南極観測隊員候補に決まったと連絡を受ける

家族は?

 

渡貫淳子さんの家族についても調べましたよ

最初に述べましたが

も同校で一緒に働いていた料理人渡貫卓也さんです

出版活動

NHK出版「食彩浪漫」1年間連載

NHK出版「調理法別日本料理」

講談社「ワインを楽しむ基本大図鑑」

サントリー「リカーショップ」など

凄い方でした

引用:http://www.syokusai-watanuki.com/syoukai.html

子供は、息子さん一人

2015年が高校3年なので21歳で

現在大学生か社会人だと思います

さり気ない優しさを持った息子さんなので

自律もされていることでしょう




 

南極生活も気になる!

 

最後に南極生活も気になる!について

調べましたよ

合格の通知後はハードスケジュールが

前年の1月に面接、その5日後に通知があり

2月に健康診断

3月から長野県乗鞍で冬の合宿訓練

6月から夏の合宿を重ね

7月から国立極地研究所で本格準備に入る

食材に関する仕入れもそれから

調理師は二人。限られた予算内で2000品目をリストアップし

発注先を決め、それらが届いたら仕分けしてコンテナに詰める

合格してからのスケジュールは実に慌ただしいが

ここで6年間もの事前の準備期間が役に立つ

「食材リストはずっと考えていましたから

直前になってからでは見落としがあるかもしれないし

幸いなことに、相棒となる

もう一人の調理隊員である長谷川さんは

第52次で越冬の経験もあるフレンチのシェフ

的確なアドバイスをもらいながら

“和食とフレンチ”の役割分担を決め

比較的スムーズに準備は進んだという

ただ、メニューの事前構成はしませんでしたとのこと

天候やその日の作業項目によって欲する料理も変わるでしょうし

それぞれの好みもあるし食材の傷み具合もわからない

そこは、臨機応変に対応することに

南極観測隊の食糧の補給は年に一回

南極観測船「しらせ」が届けるが

基本的には越冬隊の人数30名を考えて

30名が何回食べるかという形で

数量を30の倍数で計算していく

それとは別に、ミッドウインターフェスティバルなどの

イベント用にすっぽんとかふぐとか、いいお肉とか

そういうものを若干織り交ぜながら食材を調達

隊員のアンケート調査もあるが

隊員の地元の食材とうも考慮したとか

オーストラリアの西海岸にある港町フリマントルに寄るが

フリマントルにはたくさんの外国航路の船が入港し

大きな市場があり特にフルーツは頼るが

じゃがいも、玉葱、りんごに関しては日本からもって行った方がいいと

引継ぎを受けている

観測隊の農協係の方からちょっとした提案があり

北海道で雪室に野菜を入れて保管する方法

にもトライ出来たらやってみたい

ただ土自体も凍るのでタイミングだと思う

発芽しやすいシートがあるということを

個人的に知っていたので

それの導入を提案したところ

とりあえず向こうからサンプルとして何枚かもらい

それを持ち込んで今まで作れなかったものに

プチトマトなどチャレンジしてみようかなと思う

南極にはグリーンルームという水耕栽培施設もあり

もやしとかキュウリや水菜レタスなどを

定期的に作っているようです

南極への出発は、2015年12月2日

食事が大きな楽しみ。極地生活を支える調理師の役割

南極料理人の約1年半におよぶ極地生活がスタートした

施設内は年中半そでで過ごせるくらい温かい生活だそう

シフトを調整して互いに確保した休日も

調理以外の点検やその他の作業を行うことも多く

調理業務に限らず雪上車の運転や

生物学研究の手伝いもしていた

昼食や夕食は安否確認も可ね全員で食事するのが基本で

環境保護の観点から汚水や残飯を出すには制限があった

98%が氷で覆われているため

水はなく、氷を溶かして使用

ゴミは、灰になるまで焼却して

ドラム缶に保存し日本に持ちかえるため

極力ごみを減らす工夫が求められた

リメイク料理の工夫から

汁なしラーメンや

鍋の締めおじやをライスコロッケにしたり

缶詰の貯蔵が多く

いかの缶詰と角切りチーズの炊き込みや

体重増加は気になる…でも美味しいから食べたい。

そのジレンマと戦っていた

気象隊員ひろしさんが名付けてくれた

「悪魔のおにぎは人気で

天かす・天つゆ・青のり・残りご飯を握るだけのものでした

ポリタンクでお湯を運び

氷山でそうめん流しのイベントが1年に1回ある

1年4か月は親族に何があっても帰れないし

観測は地道な作業ゆえ

食事は大きな楽しみで

お誕生会にケーキを作ったり

節句を祝ったり

特別な日には懐石料理も披露したり

結構楽しくやれました

ただ調理師の基本でやってはならないこととして

火事を出すことと食中毒を出すことで

それは何十年と叩き込まれている感覚なので

特に私などは自営業だったし

その二つだけは絶対に出してはならないと

常に意識していたという

渡貫さんこだわりの「どこでもヨガ」も

南極でも実践していた

(この時の気温はマイナス30度を下回っていた)

料理は、「ありがとう」が一番多い仕事

観測や調査、研究も大切な仕事ですが

結果がすぐに出ることも少なく

評価も褒められるのもずっとあとに比べ

料理は毎日その場で『美味しかった、ありがとう』と言ってもらえた

美味しさは、笑顔にも、思い出にも、

会話の素にもなる素敵な仕事です

「人がいる限り必ず求められるのが“食”

そのパワーと可能性も改めて感じさせられた

好きな料理を通じていろんなことへチャレンジできる

若い方にも“食”を通じて、

チャンスがいっぱいあることを感じてほしい」

最後につづられた




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