黒沢一樹のプロフィールは?家族は?NPO法人も調査!

ひと

 

子どもが4学年下ですが、

ホストを6年経験していることもあり

ついつい惹かれました。

子どもが進学する高校を選択するさいに、

就職率や進学率を気にしたものでした。

少しでも、わが子の将来が末広がりであることを願って・・・

今回は、人生において複雑な環境下において様々な経験をもとに

就活をはじめ、人としての尊厳や、自己肯定感!人生観!など

振り返る機会になろうであろう人黒沢一樹について

黒沢一樹のプロフィールは?家族は?

NPO法人も調査!しちゃいました。

 




黒沢一樹のプロフィールは?

 

先ずは、黒沢一樹さんの

プロフィールについて調べてみました。

冒頭に「僕、黒沢っていうんですけど

苗字が4回変わってるんですよ。

オフクロがモテるんですわ。

こんな経験なかなかできないでしょ?」

ネットを開いて衝撃のコメント・・・

本当にこんな人いるの?と、どんな方なのか

想像してしまいました。

現在、時の人である安倍 昭恵夫人との対談より

黒沢一樹(くろさわ・かずき)さんは

保有資格

・キャリアコンサルティング(国家資格)

・キャリアコンサルティング技能士2級(国家検定)

・ジョブカード講習済

明治大学リバティアカデミー講師

キャリアコンサルタント。

定時制高校教育ディレクター。

「ネガポジ・メソッド」創始者。

現在はNPO法人「若者就職支援協会」の理事長

ネガポジ流キャリアコンサルタントとして独立し、

相談業務にあたっている。

モットーは『笑顔であれ!』、『直感を信じろ!』

1981年3月22日山口県の防府市生まれ

母親は17歳のときに僕を産んで、高校を辞めました

結婚は曖昧で、母は僕を産んですぐに最初の父親と別れました。

ヌードダンサーの母の職場で育ち

地方を転々とした

山口や島根を行ったり来たりしつつ、

たまたま九州のほうに流れ着いて

僕が4歳の頃、熊本に住み始めました。

そこで2番目の父親と出会っています。

2番目の父は同じ職場でボーイをやっており職場恋愛だった。

劇場に住み込み母親が仕事に行っている間

スケスケの衣裳を着たお姉さんたちが面倒をみてくれた。

母は劇場の仕事が終わったらその後飲み屋に行くの

僕は21時くらいになったらそこに行って

「社長、かっこいいね!」なんて一言ヨイショしてお小遣いをもらう。

小学校3年生くらいまではそんな生活でしたね。

そうすると母親に指名が入るので

僕は子供心にもわかっていたんですね。

今となってはよくわからないが

小さい頃からそういう環境で育っていて

母親のことを嫌だとは思わなかったよう。

地元には母親のファンがたくさんいて

あのダンサーの子供だというだけで可愛がってもらえたりもしたので

僕にとってはむしろ幸せな時代でした。

2番目の父親は素晴らしい人でした。

厳しいながらも、自分の子供のように育ててくれました。

でも、僕が小学校3年生

父が30歳くらいのとき、糖尿病で倒れたんです。

その翌年に亡くなりました。

その半年後くらいにはもう3番目の父親ができちゃったんです。

ちなみに僕は実の父親の記憶はまったくないので

自分が妹たちや2番目の父親と血がつながっていないことを知ったのは

悪さをして捕まったときなんです。

それまでは2番目の父が実の父親だとずっと思っていました。

3番目の父親はひどかった。

まったく働かない人だったので

いつも母にお金を無心に来るんです

母は日払いなんですが、父はそのお金で飲みに行って

パチンコをして競馬をして借金を作って……

不思議と子供ばっかりどんどん増えるんですよ。

ホステスのみの仕事でしたので

出産ギリギリまで仕事をしていました。

それでも固定ファンがいて何とか成り立った

その間に流産なんかも3、4回

経験していたりするのを間近で見てきたんですが

最終的には妹と弟がたくさんできたんです。

いろいろ計算すると12、13人くらいいるんですが(笑)

今わかっている限りでは6人ですね。

(現在、連絡の取れる兄弟数)

僕が一番上です。

母は仕事で疲れきっているし

父もなにもしないから

小学校4年生の頃に本で調べて

弟と妹の世話をしていたんです。

僕がやらないと兄弟が死んじゃいますから。

虐待を受け何度も保護されたが…

児童相談所はもちろん警察にも保護されている

警察には「民事不介入」の原則があるし

児童相談所では「家に帰りたいよね? ママに会いたいよね?」って聞かれ

子供は「はい」って答えるしかないじゃないですか。

それを根拠に「じゃあ家に帰しましょう」と。

だから僕は小学生ながら、

「この兄弟たちを守れるのは自分しかいないんだ」と思っていました 。

そして、「先生は信用できないし、大人は信用できない」

と、心に深く刻んだ時期でしたね。

虐待で、身体はアザだらけ、顔も傷だらけでした。

いま髪を長くしているのも頭が傷だらけだからです。

継父に殴られたり、包丁で刺されたり

首を絞められてほったらかしにされたり……。

でも、現場を見ないとわからないから

警察でも児童相談所でも子供が言っている

与太話のように受け取られてしまったんです。

逃げ出したこともあるが

弟と妹はどうするんだ、という思いが湧いてきて。

お祖父ちゃんやお祖母ちゃんはいたが・・・

母が3番目の父と結婚するときに

「そんな男はダメだ」と反対されて勘当状態だったんです。

とにかく独りで生きていくしかない状況でした

学校にあまり行かず

小学校時代は転校先でイジメを受け、虐待、イジメと自らの人生に苦悩する

生きるためにお金を稼いだ小学生時代

たまに行ったときに、殴られて顔が腫れていても

「転んだ」くらいに言い繕って

先生も大体事情はわかっていたはずなんですけど何もしてくれませんでした。

ファミコンをしに家に遊びに行くような友だちはいました。

小さい兄弟をおんぶしてオムツとミルクと着替えを持って。

ただそういう状況になると、不思議と大人びちゃうんですね。

友達と喋っていても、自分がマセているから

相手の話を子供っぽく感じて、友達らしい友達はできなかった

ずっと「僕は普通とは違うんだ」と思っていました。

母の財布からこっそりミルク代を抜いていましたが

お金がないときは、あちこちのゴミ集積所を回って

ビール瓶を拾って酒屋さんに持っていきました。

中瓶は5円、大瓶は10円、透明な瓶だと30円くらいで引き取ってもらえるので

一日300円分くらい集めるんです。

酒屋の人もこちらの事情がわかっているから

何も言わずに換金してくれました。

中学生になると柔道部に在籍し

アルバイトで朝夕刊配達を3年間続ける

あとは、カツアゲみたいなこともせざるを得なかったですね。

1996年に地元の公立中学校を卒業(最終学歴)

生活保護が申請できなかった!

その頃には母親はメンタルがやられて仕事ができない状況になってしまい、

父親はひたすら飲んで暴れるばかり。

脅されていて、逃げられない状況だったんですね。

暴力と恫喝で恐怖政治を布かれてしまっていたんですが、

人間ってその状態が楽になってしまうものなんですね。

だから、母親からすれば、僕はもう敵ですよ。

今のこの安住の地を脅かすな、ということで、

「おまえなんか生まなければよかった」と言われたこともありました。

「今はお母さんも普通じゃないんだ」と思い込むようにして、

何とか自分の精神状態を保つようにしていました

他の家庭がどういうものなのか知らないのと、

守るものがあると人は強くなれるのかな、と。

妹と弟をどうやって食わせていこうか、ということばかり考えていました。

高校受験も一応したんです。

地元で僕の家の事情を知っている人のススメで、

どういう成り行きか、僕は中学校の頃から強制的に塾に行かされていたんです。

成績が上がって高校に受かることができました。

正直僕は当時「今にあしながおじさんみたいな人が来てくれて、

こんな生活が変わるんじゃないかな」と漠然と思っていました。

でも、現実は何も変わらなかったですね

仮に高校の学費は何とかなったとしても、生活費はどこから出るんだ、と。

実は生活保護の申請もしたが・・・

「エアコンと自動車を持っているから、申請できない」と言われました。

「田舎でクルマを持っていなかったらどうやって生活するんだ」と思ったんですが、

「僕が働くしかないな」と十代後半から働くことにしたんです。

高校は入学式だけ行ったんですが、

入学金も支払っていないから実際は入学できていないんです

生活のため高校を入学式で辞め

日立造船というところで

背中に絵が描いてあるような大人たちのなか塗装工をしました。

3番目の父がそこで働くようになったから

僕もそこで働くことになったんですが、

父が僕の給料まで前借りしちゃうんです。

僕が知らない間に飲み屋の

ツケが僕の名前でどんどんたまっていくんです。

それで「このままじゃまずいな、何とかしなければ」と思って、

知り合いのツテで転職したんです。

そのときに板前の道に引っ張ってくれた人がいたんです。

当時は『料理の鉄人』という番組がすごく流行っていて

僕は生まれて初めて実現できるかもしれない夢というものを持ったんです

「僕は料理の鉄人になるんだ」と。(1996年~1999年)

当時働いていた店が

天皇陛下の料理を作っていたような立派なところで

調理師が100人くらいいました。

九州ではけっこう有名な大きい店で

3年頑張れば中村孝明さんの店に研修に行けるという制度があって

僕は推薦候補までいったんです。

でも、「研修に行こう」というタイミングで

右半身麻痺になり自暴自棄になる。

板前の道に引き込んでくれた人に誘われ

なぜかインドネシアに行きました。(1999年~2000年)

ちょうどスハルト政権が終わって

メガワティ大統領に代わる時期で

ここで何かやったら面白いだろうと、ビジネスを始めた

人材ビジネスを始めて上手くいっていたんですけど

知らない間に僕に1000万円の生命保険が掛けられていて

「このままじゃ殺されるな」と思って日本に帰ってきました。

今は4番目の父親がいるんですが

事実婚で籍は入れていないんですね。

3番目のお父さんは警察に捕まりました

最終的には、母が首を絞められて

家の周りに灯油を撒いて火を点けられちゃったんですよ

それでさすがに警察に逮捕されました。

母は離婚をして呪縛から抜け出すことができました。

その頃にはもう4番目の父がいたんですよ。

3番目の父の暴力から母を守ってくれる人ができて、

僕は安心してインドネシアに行きました。

それが17歳くらいのことです。

インドネシアから戻ってきてからは

面倒を見てきた兄妹も自立して

ある意味守るものが何もなくなった状態でインドネシアまで行って

信用していた人に騙されて帰ってきて

「自分って何だったんだろう」と思っちゃったんです

「このまま生きていてもしょうがないな」と。

それで、団地の4階から飛び降りたんです。

本気で死のうと思って頭から落ちたんですけど

大型バイクのガソリンタンクの上に落ちちゃって

たんこぶだけで済んじゃったんですね(笑)。

自殺未遂、死にそうになっても死なない

それで「死ぬこともできねぇのかぁ…」 と。

僕はそもそも未熟児で生まれているんですよ。

母親が高校生ということもあったのか、

心肺停止での出産。

母親が泣きながら医者にすがり、

仕方なく僕の尻を叩いたら息を吹き返したらしいんです。

「この子は20歳までに死ぬ」って言われていたので

母親は僕に3000万円の保険金を掛けていたんですが、

僕は死ななかった。

なぜかよくわからないんですが、

生まれたときからずっと、死にそうになっても死ななくて

自分から死のうとしても死なないし、病気をしても死なない。

だんだん自分の存在価値がよくわからなくなっていたんです。

今までは幼い兄弟を守る、母親を守る、

という動機があったんですが、それがなくなってしまった。

じゃあ何をしようか、と思ったときに、

僕がここにいる意味というのがお金を稼いでいることだとおもって、

一生懸命お金を稼いでいたんです。

18歳でお店を持ち、借金を抱える

熊本でお店を開きました。

いわゆるサパークラブというんですか、

早い時間帯はスナックをしていて、

そのあと1時以降は男の人が女性客の相手をするような形態でした。

そこは温泉街だったんですが

当時はコンパニオンの女の子たちが夜遅く行くようなお店がなかったんです。

じゃあ、コンパニオンに気に入られるようにして、

客を連れてきてもらおう、と。

コンパニオンは自分でお金を遣いませんから、

お金を持っているお客を連れてきてくれるわけですよ。

そういうお店を作れば当たるだろうと思ったんですが

実際に当たっちゃったんですね

開店資金は、「お店を貸すからやってみな」と言ってくれる人がいたんです。

インドネシアから帰ってきたあと

知り合いのバーで働いていたんですが、

そこに通い詰める人から「君にちょっとやってほしい店があるんだ」と言われて。

「僕、まだ18歳なんですけど、大丈夫ですか?」

「何とかなるさ」みたいな話になったんです(笑)。(2001年~)

でも、人間ってお金が儲かるといろいろ変わってしまうんですね。

僕も自分で商売をやってみて儲かってきて、

そこで働いている従業員の子たちは友達や後輩だったんですが、

だんだん「お金を生むマシーン」みたいに見えてきて、

どんどん関係がギクシャクしてきて、

最終的には地元の怖い人たちと揉めるような形になっ

て店を潰すことになりました。

そこで借金ができちゃったんですね。

廃業後は、神奈川に住む友人宅でお世話になる

フリーターとなり、日雇いなどで生計を立てる(2001年~2002年)

19歳で上京、3ヵ月で借金返済

借金を返すために東京に出てきました。

当時19歳です。

当時はやけくそで、バッグ一つで上京したんですが、

なぜか歌舞伎町に行ったんですよ。

上京初日は知らない女の人に「どうしたの?」って声を掛けられて、

「ご飯が食べたい」って言ったら泊まるところも用意してくれて

朝起きたらお金が5万円くらい置いてあったんです。

「東京っていいところだなぁ」と思いました(笑)。

そのお金でプリペイド携帯電話を買って

知人に連絡を取りました。

そうやって上手く人に助けてもらってきました。

東京で借金を返すために仕事をするといっても、

やっぱりマトモな仕事にはありつけないんですね。

かなりグレーな仕事しかなくて、

宝石を売ったり浄水器を売ったり

歌舞伎町でホストをやったりしていましたね。

ありがたいことに皆さん買ってくださいました。

僕はあんまり口が上手いほうじゃないんですが、

皆さん可哀相に思って買ってくれるんですね。

見るからに悲愴感が漂っていたのかもしれないですが、

ホストをやっていたときも2ヵ月くらいでNo.2くらいになっていました。

それで、何とか3ヵ月くらいで借金を返し終えたんです。

でもそのとき、ふと「俺、何やってんだろう?」と思ったんです。

ホストの世界も派閥争いとか、

汚い人間模様がたくさんあって、

疲れちゃったんです。

「もう借金も返し終えたし

どこかで「僕だって普通だよね?」と思っていたときに、

たまたま出会った今の妻が結婚を考えてくれていたんです。

21歳のときに結婚しました。

結婚をして「僕の幸せな家庭って何だろう?」と考え

「じゃあ事務の仕事をしよう」と思ったんです。

定時で帰れる仕事=事務の仕事って勝手に思っちゃったんですね。

それから簿記の勉強をして、

それでもそう簡単に仕事は見つからないので、

いろいろ考えた結果、税理士事務所だったら可能性はあるかな、と。

タウンページの五十音順で並んでいる番号に

「あ」から電話をしまくって、

やっと「つ」のところで「面接においで」と

言ってくれるところがあったんです。

その面接で「お金はそんなに要らないので、

よろしくお願いします」って言ったら、

「それだけの気概があるのなら」と

社員で登用してもらえました。

それが25歳くらいのことで

4年くらい働いたんですが、

その間に民主党への政権交代があり、

そこの税理士事務所の顧問先のほとんどが土建業者だったので

公共事業がガーッと縮小されて顧問先がバタバタ潰れていって

最終的に僕もリストラされちゃったんです。

ただ、そのときには現在やっているNPOを立ち上げていたので、

それはそれでチャンスなのかな、と思いました。

その後はハローワークを徹底的に研究しましたね

2ヶ月間、朝から晩までハローワークへ通い

どんな人がいるのかとか仕事の探し方、

使い方を研究しました。

その時の経験が今の活動の基礎のひとつになっています

研究後、すぐに就職が決まり

4年くらい勤めたところで、独立しました。

2年前に独立して、

キャリアコンサルタントという肩書きで

いろいろ活動しているということです。

僕のこれまでの来し方をギュッと凝縮すると、そんな感じですね。

3倍速の人生で、お金を稼ぐ以外の目的を見つけた

お金に対する執着はなくなったわけではなくて

一つの評価指標としてあります。

今後は貧困世帯向けの職業学校を作りたい

と思っているのでお金は必要ですし

たくさんあったらあったで美味しいものも食べられますし

僕は然聖人君子じゃないですから(笑)。

ただお金を稼ぐことを目的としなくなりました。

今は職業学校を作るためにお金が必要だから稼ごうとか、

わかりやすい自分の評価指標だから、

というふうにシフトしてきていますね

お若いのに、人の人生の何倍も濃い経験をされていますよね。

講演では、いつも「僕の人生は3倍速です」って言っています(笑)。

やっぱり死のうと思っても死ななかったというのが

僕の中の一つのターニングポイントだったということと、

不思議と僕は人に助けてもらっているということがありますね。

本当に50回くらい転職しているんですか?

していますね。まあ、1分で辞めた会社もあるんですけど(笑)。

店長がむかつくなと思って辞めちゃったんです(笑)。

そういうのとか、アルバイトなんかもカウントして50回ってことなんですけど。

そうですね、6年くらい前に押上に家も買いました。

お母さんとの関係は今は仲が良いですよ

4番目の父親とは上手くやっているようですし。

兄弟たちは

自分で独立して働いていたり

高校生だったり中学生だったりとかですね。

主な著書

・ネガポジ就活術 出版社:鉄人社

説明:逆転の思考法による就活術!新卒者向けの就活本です。

・ミッションから見たNPO(共著) 出版社:文眞堂

説明:NPOの事例集。

若者就職支援協会も事例紹介として執筆。

・本のチカラ(共著)  出版社:日本経済新聞出版社

説明:著名人が希望を感じた書籍を紹介する本。

(全額東日本大震災の復興へ寄付されます)

『最悪から学ぶ 世渡りの強化書 ―

ネガポジ先生 仕事と人間関係が楽になる授業』黒沢一樹著

1,404円/日本経済新聞出版社

「普通」という言葉に振り回されるな!

虐待、貧乏、父親が4人…中卒・転職50回の

カリスマ・キャリアコンサルタントが教える

選択肢を無限に増やして自由になる「逆転幸福論」。

最悪、壮絶な人生から生まれた著者独自の

「ネガポジ」メソッドは

都立高校キャリア教育プログラムにも導入!

家族は?

次に、黒沢一樹さんの家族について紹介します。

19歳の時にで3歳年上の奥様と出会い

2年後の21歳のときに結婚しました

当時の僕はよくわかっていなかったんですが、

「今度家においで」って言われて

両親に「娘をよろしくね」と。

そのあと「カップルで行くとタダで食べられるんだよ」

と食事に誘われたんですが

それはどうも婚礼のサンプルサービスだったんですね。

僕が「えっ、僕たち結婚するの?」って聞いたら

「だってプロポーズしたじゃん」って妻は言うんだけど

僕はそんなこと全然記憶にないんですよ(笑)。

たしかに当時の僕はホストだったから、

「君と死ぬまで一緒にいたいな」みたいなことは言うわけですけど

そんなの「おはよう」くらいの挨拶代わりですよね。

それを逆手にとられたわけですよ(笑)

彼女自身は公務員の家庭で育ち

色でいうと真っ白なくらい純粋な人みたいでした。

だからこそ「結婚してもいいかな」と思ったそうで

現在では、奥様と娘さん1人と息子さん1人の

4人家族のようですね!

「普通」を求めて結婚、「サザエさん一家」を目指す

結婚をして「僕の幸せな家庭って何だろう?」

経験がなく考えても、わからなかったようですが

僕の一つの指標として

『サザエさん』の世界があった。

家族の団らんがあって、

お父さんとマスオさんが定時で帰って飲みに行って

お父さんとお母さんも仲が良くて

マスオさんとも折り合いが良くて……。

「これだ!」と思っていらしたそうで

今でも、早く帰宅できる日を決め

小学生くらいかな?子どもさんとの

関わりにも配慮されています。

 




 

NPO法人についても調査!

最後に、黒沢一樹さんが理事のNPO法人についても

調査しちゃいましたよ。

2007年に活動を開始して、翌年法人化。

今年4月1日付で住所変更をして、

私たちは足立区にある北千住駅東口をでて徒歩5分圏内の古民家へ引越し。

新プロジェクトの話

北千住で新しく子どもたちが安心して過ごせる場所を創ります。

「学ぶ」×「食べる」×「繋がる」を基軸にした居場所事業。

特徴としては、子ども自身が学んだり

、同級生や大人に何かしらを教えることと引き換えに、

「食事券」をプレゼントします。

子ども自身が、ただ、食事をするだけではないのが特徴です。

ぜひ、応援(パトロン&SNSでのシェア)をお願いいたします!

もっとチカラをつける!

本格的に定時制高校だけでなく全日制高校への授業もはじまります。

ぜひ、こちらについても一緒に学校現場に来ていただける方を大募集中です!

それに、伴い、キャリア教育現場への初心者研修を準備しておりますし

新しく「ネガポジ講座」や「独立講師養成講座」の準備も進めております

NPO法人若者就職支援協会の設立のきっかけ

10年前、テレビで見た大学生の

「就職がない」という言葉がきっかけでした。

中卒の私には甘えてるとしか思えない態度でしたが

「中小企業」と「若者」をつなげることで

何かが起こるかもしれないと感じた瞬間でもありました。

資格スクールの勉強仲間と団体を立ち上げ

NPO団体としてはめずらしいのですが

大学生への「怒り」からのスタートがきっかけです。

中小企業診断士の受験指導校で元副理事の菊入と出会い意気投合。

希望ある日本の未来を創るためには

若者と中小企業を元気にすることが必要であると考え

2008年11月、元副理事の菊入とともに

特定非営利活動法人 若者就職支援協会を設立。

平成28年度厚生労働省労働法教育に関する教材作成委員

平成29年度厚生労働省労働法教育に関する教材作成委員

一言 今、チカラを入れているのは、

学校現場に「リアル」と「希望」を届けることです。

生きづらさを抱えた若者の希望となる

「キッカケ」を創ることを使命と感じています。

「本当にやりたい仕事は?」「なりたい自分は?」

就職活動中、いやが応でも目にする言葉。

大人の親心から発せられる問いに

かえって悩まされたり、生きづらさを感じていませんか?

就職支援NPO代表黒沢一樹さんが若者に伝えたいこととは

『やりたい事』や『なりたい自分』という問いを忘れ

自分にとっての『最悪』だけを見つめる」

幼少期の虐待や10代の自殺未遂など

ありとあらゆる「最悪」を経験してきた黒沢一樹さんが

将来の選択に迫られる若者たちに伝えたい思いを見つめます

「こうだけはなりたくない!」最悪を考えることで

自分だけの価値観が見えてくる。

そう高校生に伝える、進路カウンセラー #黒沢一樹 さん。

自身が体験した“最悪人生”の末に見つけたものとは?

ネガポジ先生の「逆転」自己分析講座

~やりたいことが見つからないあなたへ~

必ず、あなたの強みと弱みがあぶり出されるはず。

人に自慢できることなのか、長年続けてきたことなのか

人よりもちょっとだけ自信のあることなのか。

言葉をひとつひとつ丁寧に考えることはとても重要なこと。

このポジ変換は、エントリーシートで

矛盾を生じさせない効果も併せ持っています

飽きっぽい好奇心旺盛、視野が広い

気持ちの切り替えが早い

即行動できない 計画的である、おおらか

自分に正直

字が汚い 個性的、味がある

自分らしい、速記可能

ここができたならば、それぞれを強み欄・弱み欄に書けばOK

コンプレックスを武器に

ネガポジ・メソッドの目的と効果!

ネガポジ・メソッドの目的は、「選択肢を増やすこと」です

固定観念や先入観などで凝り固まった頭の中身を柔らかくする思考法です。

思考の柔軟化が起こることで視野が広がり、

いろんな視点で物事をとらえられるようになっていきます。

具体的には、ネガティブワードをポジティブワードに置き換えたり、

大多数意見だけではなく、少数意見からも考えることです。

あれもできる、これもあるといった状態になれば、

行動に移るまでのスピード感が上がり、

経験と実績を積み重ねることで

それが結果的に価値観を変化させて自信を持つことにつながります。

ネガポジ・メソッドを自己分析に活用することで

短所を長所に置き換えることができたり、新たな強みを発見することができるわけです。

「かんちがいスイッチ」であなたの価値観が劇的変化

人の思考回路は“かんちがい”から始まる!

独自の考え方ですが、ネガポジ・メソッドを学ぶうえでは大事なポイントです。

「ダメ」を「イイ」にするポジ変換を実践

「中卒」=希少性の高い人、社会人経験が長い人

「転職50回」=就活の達人、業界や職種を人より多く知っているマルチな人

などと、置き換えました。

積み重ねたことはウソをつかない

普通の生活とは、どういう生活ですか?

普通の仕事とは、何を基準としたものでしょうか?

例えば、私の「普通」を挙げると…

毎朝、家族一緒にご飯を食べ、

週二回程度は子どもとお風呂に入り

夕食を共にできる時間がある生活。

世帯年収は、500万程度。

人を悲しませることのない仕事であり

日々の業務に追われることのない仕事をしていることです

ここであなたに絶対に知ってほしいことは、

マイナスの要素であればあるほど

プラスに転化したときのパワーはすごいということ

ポジ変換をきっかけに「かんちがいスイッチ」を入れましょう!

できないこと > やりたくないこと > できること > やりたいこと

そこで、「やりたくない」

けれども「我慢できること」は何かを考え、

その中から「できること」を探しました。

最初からやりたいことができることの方が少ないでしょう

経験を重ねれば、「できること」が増えるし、考え方も変わります

「やりたくないこと」のレベル感だって日々変化します。

日々、現実と理想は変わります。

そのつど、アップデートしながら、自分を見つめ直してください

寄付をお願いいたします!

・学習支援やたまり場支援ができる場所提供

・静止画の1000万画素(or F値2.0)以上のカメラ

・ノートパソコンやタブレット

・使っていない切手やはがき(書き損じ含む)

・活動資金(千円=出張授業人員×1)

ボランティアメンバー募集中!

・定時制高校への出張授業に参加いただく社会人、大学生

・学校の先生などになりたい方

・NPO運営に興味のある方

・ネガポジメソッドの講座開発に興味ある方

・過去の経験を活かし、次世代によき影響を与えたい方

・就職活動に困っている方で空白経歴を作りたくない方

※メールフォームタイトルに「ボランティアの申込み」と記載いただき、

本文に「お名前」・「所属」・「年齢」・「簡単な経歴」「ご連先」を記載ください。

 

 




 

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